最近、肉を食べる頻度がめっきり減った。
以前は1日三食肉料理、とかざらだったのに、である。
肉を食べる機会をゼロにしたわけではない。職場で頼む弁当に入っている分は、それはそれとして、ありがたく頂く。
自分でも食べようかな、と思ったら食べる。
ただ、食べなくてもいいかな、という感覚がよぎるようになった。
昨年から通っているヨガでは、自分の感覚に気づく、というトレーニングを繰り返し行なっている。
それは、自分が自分の身体感覚を取り戻していくリハビリテーションになっている。
自覚していなかった身体の違和感や、知らず知らず封じ込めた感情の残像、そういうものにただ、気づく。
そして、今年に入ってから目覚めた発酵食。
まだ生活の全てにしっかり取り込めたわけではないにせよ、時折食べる動物性食品なしでも満足感のある料理達が、自分の身体をまだ見ぬ次元へ引き上げていく。
そして、肉を摂らない食事を覚えたことで、肉を食べた後の体の違和感みたいなものが浮き彫りにされてきた。
去年の今頃からは想像もできなかった世界。
別に宗教にハマったわけでも、環境問題の意識が高まったわけでもなく、ただただ自分の身体が、「あっちじゃない、こっちだ」と告げている。
そんなレールの分岐点に立った感覚。
自分はいつも、こうした風変わりな変曲点に達する前に、必ずジャブのようなメッセージを受け取っている。
今回のヒントは昨年読んだ本、2冊
『アミ 小さな宇宙人』でアミが主人公の夕飯として残されたステーキに全力で嫌悪感を示すシーン
「死体の肉を食べるなんて!」
と
『ループ:忘れ去られた記憶の旅』で人間が各ステップを成長しながら上がっていくうえで、「肉が好きな人はある次元から上へは行けない」と記された謎の文言
この二つに、理解はできなかったがなぜか反応していた。
今も理解はできていない。身体の導きにしたがって生きるようにしているだけ。
でも、肉食が悪いとか、やめるべきとか、そういうことを考えているわけではない。
食べられるなら食べておいた方が良いし、無理に我慢するのはそれこそ体に良くない。
頭で考えてヴィーガンになるとか、ベジタリアンになることはおすすめしない。意志の力で頑張る禁煙が上手くいかないのと同じ。
理性で無理やり踏んだブレーキは、大いなる反動とともにリバウンドとして跳ね返ってくる。
だからもし、段階を踏んで、身体がそう言ってるなと感じたら、ゆるく、手放してみる。
欲しくなったら、また掴めばいい。
自分の身体は、まだ魚や卵、牛乳などには反応していない。それもそのうち来るかもしれないし、大丈夫のままかもしれない。
実家は魚屋だから、魚は勘弁してほしいのが正直なところ(笑)
自分としては、どっちでも良いと思っている。
身体が求めるものを、然るべきタイミングで食べる。
そういう身体感覚の鋭敏化こそが、健康への近道なんじゃないかと、最近は感じている。
0コメント