本に呼ばれる

物心ついた頃から本は好きだったのだけど、特に読書熱が自分の中で高まったのは小学校高学年から中学生くらいだったと思う。

あの頃は本当に毎日読むものに飢えていて、青空文庫の児童書、偉人の伝記漫画、ダレン・シャンや江戸川乱歩、次第に文庫本なんかも読むようになっていった。

自分の好きな傾向はなるべくハッピーエンドで、人が死なない本。そしてワクワクして、面白い物語が好きだった。

自分の気になったシリーズ、好きな作者の本を読み続けてもいずれ尽きてしまう。新たな作品を発掘する上で、書店の棚はワンダーランドだった。

何度も行くうちにめぼしい作品名と作者名は覚えてしまう。でも、それを手に取るわけじゃない

表紙の雰囲気、気になるタイトル、裏のあらすじくらいまでを読んだら、大体読みたい本は決まったし、外したこともそんなになかった。

本を読むほどに研ぎ澄まされていく選書眼、当時はそれを、「本に呼ばれる」と感じていた。


小説をそれほど読まなくなって久しい。今でも心躍る物語は好きだけど、感情移入しすぎて読み終えるとどっと疲れてしまうのも確か。

それでもやっぱり、ストーリーの中に入り込む楽しさってのは本質的なもので、それは漫画やアニメ、ドラマや映画になっても同じことだ。

ただ、視点の自由さ、ストーリー進行速度の自在さという点で、小説は「あそび」の多い物語だと思う。

文章から想像して、頭の中で映像を観る。
あのシーン、なんのドラマだったっけ?と思ったら小説だったなんてことも、昔はよくあった。


最近、小説ではないけれど、ある目的のために、自分で一から選んだ本たちがことごとくアタリであるという経験をしている。

自分を呼んでくれる本は、どうやら物語だけではないらしい。

本を読む。そのまえに本を選び、本に選ばれる時間の豊かさってあるよな、と気づいた今日この頃のお話。

松浦信孝の読書帳

本を読んで考えたことを中心に好き勝手書いてます。

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