話題の本ではあるが、デジタルネイティブ世代として気になってしまった。
携帯電話が普及したときもその影響はすさまじく、携帯片手に町を歩く人は沢山居たと思うが、今も中々凄い
通勤電車の中など、スマホの画面を見てない人の方が少ない。
子連れの大人でも、子どもが自分の方を見て欲しくて親の顔を見ているのに親の顔はスマホに釘付けだ。
親が自分の方を見てくれているという安心感を得る、愛着形成の時間をスマホなんぞに奪われてしまって良いのだろうか。
公共の場で子どもが泣くと大変だからYouTubeを見せておく。素直な感情の発露を情報の洪水で堰き止めてしまって良いのだろうか。
デジタル媒体に馴染みのある世代だからこそ、平気で濫用する風潮が恐ろしくて仕方がない。
自分は親世代とネットで繋がることにも抵抗があった。家族でLINEすることが気持ち悪いと感じていた。
それは、親という一線を置いて敬意を以て付き合うべき対象と、雑なコミュニケーション方式を通じて繋がる事への違和感だったと思う。
ネットはあくまで非公式の媒体であって、ちゃんとした人間関係とは一線を画したものである、という感覚がなんとなくある。
本の内容に移る
著者はスウェーデンの精神科医である。
著者の主張は、我々の脳は実は石器時代から大して変わっていなくて、SNSなどは特に原始的な好奇心を刺激して夢中にさせるよう設計されており、スマホに夢中になるのはつまり、欲望を上手く刺激されているだけなのだ、というあたりにある。
そして様々なデータから、スマホに時間を使うことで生じる鬱傾向、睡眠障害、記憶力、集中力の低下、肥満などについて解説されている。
そして更にはカフェインと近代の関係性や、日々の運動の重要性などが説かれる。
ポストコロナ時代になって、ZoomやYoutube、ライブ配信など様々な刺激に暴露する時間が延びた。
その中で、自分の脳は未だ原始時代なのだと自覚して文明から距離を置く時間を持つ。
パソコンを立ち上げず、スマホを持たない時間をつくり、カフェインで自分を興奮させることもなく、軽く運動して思索と創造に励む。
これってなかなか素敵な休日になると思うのだけれど、どうだろう。
でも、ROLANDの脱デジタルに関するYoutubeは、スマホをオフする前に一度見ておいても良いかもしれない。彼は半日スマホを封印して生活する。
文明の利器は便利だ。でも便利な物はすべからく、弊害と共にやってくる。
弊害を切り捨てるのではなく、弊害も理解して上手く付き合うことが生きていく上で求められる。
デジタルを手放す無防備感を、久々に楽しもうではないか。
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