2020.06.30 09:38#23人目の著者①小学校編 『ぼくとわたしと本のこと』オマージュ随分とおこがましい話ではあるが、以前紹介した『ぼくとわたしと本のこと』(高原純一+SUN KNOWS):センジュ出版を読んで、ある衝動に駆られた。自分も、書いてみたい・・・自分は小学6年生の時の夢が「小説家」だった。物語を書くセンスは乏しいが文章を書くのは好き、本を読むのも好きだ。自分より年下の大学生たち(執筆当初)が自分と真摯に向き合い、書く過程で涙を流した時もあったと聞いたその本に挑むのは、「自分にでも書ける」ではなく「書くことを通して、読むことを問い直す」というその過程を自分も辿ってみたいからだ。いや、実はちょっとだけ、「自分にも書けるのではないか」と思ってしまった。しかし壁は大きい。なによりこっちには一緒に書いてくれる仲間も、見守ってくれる高原...
2020.06.27 08:07映画評論のようなものジブリが昔の映画を再度映画館で上映する、という企画を6/26から開始した。風の谷のナウシカ、もののけ姫、千と千尋の神隠し、ゲド戦記の四本である。世相的にも完全に狙っているな、と嬉しく感じる。早速昨日、ゲド戦記を観てきた。平日のためか、評価が低いせいなのか、シネマコンプレックスの中でも、一番小さい部屋で、観客はたった3人だった。贅沢な話である。ゲド戦記の最初の放映は2006年、自分が中学生のころだ。世の中的に駄作と酷評されたのをなんとなく覚えている。当時は観に行かなかったので今回初めてだったのだが、観て圧倒された。確かにこれはジブリっぽくない、エンタメ的な爽快感は少ない。ストーリー的なわかりやすさも、希薄に感じられただろう。けれど、今までの宮崎駿作品とは...
2020.06.09 03:51世界から「べき」が消えたならここ数週間で、大きな考え方の変遷があり、どう言葉にして良いか悩んでいたので、悩んだままキーを打つことにする。人間は脳内で全ての情報を瞬時にジャッジ(審判/断罪)している。感情をジャッジし、事実をジャッジし、何一つ素材そのままではいただけない。寿司のようだ。人は高速寿司職人を脳内に雇ってしまっている。無自覚にも。感情と断罪の寿司、事実と糾弾の寿司、これらの寿司は不味い。特に精神に良くない。このネタとシャリを剥がすことが出来たなら、少し救われるのではないだろうか。例を挙げてみる・なんだかやる気が出ない。←努力をしないのは良くないことだ。・部屋が片付かない。←時間があるのに時間を無駄にしている。感情は浮いてくるもので自然なこと、だけどそれを価値づけると辛くな...