書店韋編三絶 という表現

なぜだか分からないけれど、昨年から時々、休みの日に書店として活動するようになった。 

屋号は韋編三絶という。


本は元々好きだったけれど、本屋さんをやりたいと強く思ったことはなかった。


 事の発端は、センジュ出版の代表、吉満明子さんが、かつて北千住の街で夜だけ運営していたブックスナックの「スナック明子」にある。

そこでは時々、出版や書籍に関するゲストが呼ばれ、イベントが開催されていた。

この屋号は僕がそのイベントの一つに参加した際に、酔った勢いで思いついたものだ。その場で一冊!取引所というサイトに登録するだけして、しばらく寝かせていた。


ある時、登録しましたと読書のすすめの店員である小川さんに伝えたら、一緒に岡山に行って書店をやろうよ!とお声がけをいただいて、自ら動かずして書店デビューの場が整った。 


 形から入るタイプなので、大して更新もしないけれど、FacebookやらInstagramやらのショップページも作って投稿したら、目にとまった出版社の方からお声がけいただいて、岡山以外でも出店する機会を得た。この辺でそろそろ気づく。何者かが自分に、「どんどん本屋もやりなさい」って言ってるのかも知れない、と。 

 

始める前に、自分の中で、書店をやっても良いなと思った理由が二つほどあった。
以前から、本を読んでいると友人の顔が浮かぶことがあった。この人に読んで貰いたいな。そんな相手の顔が時折ふと、浮かんでくるのだ。そんな相手には時折メッセージで表紙を送ったり、時には現物を送りつけたりしていた。

その延長線上として、顔の浮かんだ相手に良いと思う本を薦めよう。「この本あなたに合うと思うよ!ところで、僕も本屋をやっていてね・・・」といった風に。お気づきだろうか、さりげなさを装ってはいるが、これは本の押し売りである。幸い、今のところこの押し売りの犠牲者は、吉満さん一人である。勿論僕は専業の書店ではないので、僕から買ってくれればありがたいし嬉しいのだけれど、住まいのお近くの応援したい書店から買っていただいてもいっこうに構わない。

読書のすすめにある本なら、読書のすすめで買ってもらいたい。出版界から本が一冊動く、というその事実こそが重要なのである。 


 もう一つは、自分が気になっている本を、仕入れるという名の下に原価で手に入れて読めるということである。これは書店の役得になる。読んで良かったなら仕入れれば良い。品数も増えるし一石二鳥である。


 更に今回僕は、書店を名乗り始めたことで、いつか現れてくれるお客さんを想定しながら読む、という今までの自分になかった引き出しを開ける機会に恵まれることになった。 


1冊!取引所には選りすぐりのセンスの良い出版社が集う。送料もかかるので、発注するときにはある程度出版社を絞る。でも興味のある本をとにかくリストにピックアップしていくと、その内容で自分の傾向に気づかされる。


発酵と農業、狩猟と自給自足、身体と病、植物と自然、そして今回、先週伺った岡山出店の選書テーマは、家族と子育てだった。選んだ5冊中4冊が子どもに関連する本になった。岡山のイベントは老若男女様々な年齢層の方が訪れるので、子どもにまつわるものが良いな、となんとなく思ってはいた。けれど実際に読んだ本が良いと感じるまで、棚には並べないことにしているから、そのラインナップが完成したのは直前になってだった。


 誰かを思い浮かべて本を読み、選ぶ過程が、僕自身の探求テーマと深くリンクしている。興味を持った本を読んで、やっぱり良いなと全身で感じて、誰かに言葉にして伝える。先日吉満さんとお会いして話したときに、これは表現なんだと気がついた。読むは書くに通じる。紙にだけじゃなくて、空間に、音で並べていく。その場の空気感、間、表情、色んな道具を使って、自分だって二度とは出会えないその場限りの表現を楽しむ。

自分が好きだと感じた本を、同じように、また僕以上に、愛してくれる仲間を世界に1人ずつ、増やしていく。


こうして僕は、書店という表現を始めたのだ。

松浦信孝の読書帳

本を読んで考えたことを中心に好き勝手書いてます。

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