機械と人間

以前、高萩徳宗さんの『サービスの心得』という本を読んだ。

サービスを提供する側としても、享受する側としても、ハッとする内容が書かれている。


パソコンのトラブルの話が出てきた。パソコンのコネクタが壊れ、カスタマーサービスに電話しても、20分待たされ、故障の再確認のためにさらに10分間も費やしたという。

筆者は指摘する。
メーカーからすれば、売れた時点で目的は達成され、相手がそれを使う時間は‘’アフター”サービスとなるのだろうが、その使用体験は次のパソコンを買う上でのマーケティングになってくることを見落としているのだ、と。

パソコンユーザーの中には、自分で組み上げやプログラミングまで行う手練れ、まあまあ慣れた中間層、全く苦手な層など様々な人がいる。

とかく近年はスマホやタブレットの台頭で、パソコンを持ってなくてもなんとかなる人が増えた。

多少の基礎知識があればGoogle検索の方がメーカーに電話するより早い、とパソコンに慣れている層は思っている。だからこういう落とし穴が生まれるのだろう。

機械を売りながら、機械を使える人間を育てることが本当の意味のマーケティングになり、機械に支配される時代を予防しうる。



これまた先日、読書のすすめの小川さんに紹介していただいた岡山県総社市有志のZoom勉強会に参加させていただいた。

コロナによる自粛が始まって一ヶ月後の5月くらいから、3回目くらいであろうか。明るくて勉強好きの、素敵な人たちが集う。

今回のテーマは、自分の職業の未来像、であった。

質問の真意は、AIやテクノロジーとどう付き合っていくか、というもので、自分も思うところを述べた。

自分にとって興味深かったのはそのあとで、AIに仕事を奪われるのではないかと危惧している人も中にはいた。


企業の役割について改めて考えてみる。


企業の役割は業務を通して社会に貢献すること、利益をあげて継続・発展すること。

でも地域社会にとって1番大事なのは、雇用を生み出すことだったりする。

企業という生命単位の生存を考えるなら、AIの導入によって人件費を削減できれば、かなりのランニングコストを削る事ができる。

しかし社員1人が1年間、その地域で循環させるお金に関して考えてみるとどうだろう?

少し昔になるが、2017大卒の初任給は249万円だった。月収20万で、1月に2万円ずつくらい貯金したとしても、1人雇用することは1年間で225万円の地域への経済循環を生むことになる。

そして、この循環の相互作用が経済構造を生んでいる。


AIと人は単純な効率の比較だけでは置換できない。


生命としての企業を生かしうるのは、地域社会という生態系の健全さがあればこそである。


経営者がどこまで哲学を持っているかが、鍵となってくるように思う。

松浦信孝の読書帳

本を読んで考えたことを中心に好き勝手書いてます。

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