後編の感想に移る。今回はネタバレありにして存分にこの物語への愛を語ることにする。
もう読んだ方、今後絶対読まない方以外は、ここで引き返すことを勧める。
良い作品だった。という抽象的な感想から始める。
自分にとって小説は読む物というより、観る物である。ドラマや映画の感覚だ。
最初50ページくらい読み進めるとだんだん映像が見えてきて、100ページくらい読みすすめると登場人物の声が聞こえる、気がする。
ファンタジー世界は、映像化するのが難しいのだが、その辺を表紙絵などや、描写から想像するのが楽しい。
上橋菜穂子作品は、昔精霊の守り人一巻に手を出したのだが、主人公が女用心棒、というのであまりピンとこなかった。男尊女卑では無く、そういうチャンネルが自分の中にはまだ育っていなかった。
今回は元ゲリラ兵の脱走囚と、天才医術師のW主人公で、国を巻き込んだ大スペクタクルである。ファンタジー要素も絡めながら、医療の体系がほぼほぼ現代医学に矛盾しないため、地に足の付いたリアルさを描き出すことに成功している。
映画などで観たい、と思った。実際には脳内で観ているのだけど。そして、コロナ騒動でどうなるか分からないが今秋、映画が上映予定である。
成人男性の後を追う小さな女の子、というイメージと、ウイルスというアイデアから、こんな物語を生み出す作家の頭脳は、底知れない。
物語に絡めて、飛鹿、火馬などの空想上の動物が、我々にお馴染み鹿、トナカイ、羊、等の他にも出てくる。見知った動物と比較しつつ、その特殊な動物たちが描かれることで想像しやすくする。現実にあるものの中に、空想の存在を混ぜ込むことで読み手は物語の中に引きずり込まれていく。
また、宮廷祭司医達が行う清心教医術とホッサルの扱うオタワル医術の対比も見事である。
生活の医療として、宗教の分限を弁えた範囲の治療と、終末期、緩和医療を得意とする清心教医術
生命の医療として、可能な限り患者を救おうとあらゆる手を編み出していくオタワル医術
主人公のホッサルはオタワル医術なので、そちらがメインで描かれるが、清心教医術は単なる旧来の医術では無く、オタワル医術では及ばない患者や患者家族の精神の救済など、認めるべき所はあるように描かれている。
清心教医術対オタワル医術の物語は続編『水底の橋』で描かれるようなので、それはまたいつか、別の機会に。
曲がりなりにも医療を学んだ者として、見知った医学用語を物語世界の用語に変換されるのが、「なるほど、そう言い換えたか」と勉強になる。一般の人が読んでも面白く、理解できるような形で語られており、患者に対して説明する際の勉強になる。
病をテロの兵器として、失われた故郷を取り戻そうとする衰退した部族、旧領主の逡巡、体制維持のため同じ痛みが一番理解できる立場にありながらも、役割を全うする少数民族の者達。
様々な立場の苦みが、ちゃんと描かれていることで、善とか悪とか、そんな単純な図式にならないから物語に深みが増す。
現代の日本人の多くが失ってしまった、一日一日を生きていくしんどさ、先祖達が経験してきたような自然の厳しさの中での日々の営みが、手抜きせずに描かれていく。
鹿の王、というタイトルに込められた思いとは。救いを抱かせながらも、衝撃の最後に主人公達の物語の続きが読みたい気持になる。ホッサル編の続編が出たが、ヴァンの側の続編も出てくれないだろうか、1ファンとして大いに望む。
映画上映前に間に合って良かった。
世界的に疫病が流行している中で読む『鹿の王』は臨場感も一入である。
早く現実の病に対しても解決策が編み出されることを心より祈っている。
0コメント