16冊目 ロバート・ツルッパゲとの対話

社会に自分を合わせなければいけない、そう思って心を殺して働く、全ての人にこの本を勧める。
なんともダンディなスキンヘッドのオジンのいかした写真に、奇怪なタイトル、そして挑戦的な帯のコメント。


この本が、只者じゃないことをビシビシ伝えてくる。
本のジャケ買い選手権があったら優勝しそうな風格の本だ。
なんとも内容を予測できない。
表紙のこのおじさまがロバート・ツルッパゲなのであろうか、いや、そんなわけないだろう。
何人と言えどもこんな名前の人間が偶然存在するわけはない。寓話的存在のはずだ。

内容に入ろう。

まず前書きが三つある。すでに脳内は「?」で満たされる。
前書きそれぞれの内容は非常に良い。本質的な指摘とおちゃらけが寄せては返す波のように訪れる。

本文もすごい。現代の日常的なテーマにフォーカスし、それってどうなん?と身包み剥いでいく方式で本質を露わにする。そうか、哲学をするってこういうことだったのか、と呆気にとられる。
プラトンがどうの、ハイデガーがどうの、ニーチェがどうのと本を読み語る、あれは本当の意味では哲学をしていたのではなく、過去の偉人の思考をなぞっただけではなかったか。
自分の目で捉え、物を考え、一人の人間として意見を表明する。安直ではいけない、発言には当然責任が伴う。けれどこれが人間だったのではないか。

これを言ったら炎上するんじゃないかとか、行動するのに忖度を要するとか、人の目ばかり気にして一億総監視社会のようになってしまっている風潮にはもうほとほとうんざりしている。

裸の王様が裸であることを指摘した子供の眼を、いまこそ、取り返さねばなるまい。

「いま」を描きつつ、普遍性を内包する、不思議な本である。



P.S.早々に重版になったようです。確実なお求めはどくすめ↓(読書のすすめ)にて

松浦信孝の読書帳

本を読んで考えたことを中心に好き勝手書いてます。

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