おかえりモネ

自分は普段ドラマを毎週欠かさず観られないタイプだ。


毎週その曜日のその時間に、同じものを続けて観るという習慣化が出来ない。


録画してまで観たいと強く思うこともない。演者さんには叱られてしまうだろうか。


面白いか面白くないか、ではなく普段ドラマに人生の必要性をそこまで感じていないのだと思う。


必要性とか言ったら、尚更怒られてしまいそうだ。


でも、今回の朝ドラ、おかえりモネはNHK+という見逃し配信サイトを利用しているのもあり、毎週欠かさず観続けている。

まだ先週のは全ては見ていないが、第17週83話まで1話も逃さずちゃんと追いかけている。


我ながら凄いことだと思う。こんなにドラマを、特に朝ドラをちゃんと観たのは『てるてる家族』以来かも知れない。


視聴率はそこまで良くないらしい。なんとなくわかる。この僕が珍しく夢中になった物語である。

余り世間ウケする内容ではないのかもしれない。


実家の母も面白くないと言っていた。僕よりかは世間ズレしていないんだろう。


面白さは人それぞれで良いと思っているし、押しつけるつもりもない。


でも、何故僕はこんなにも魅了されているのだろうか。


それはもしかしたら、「痛みもえげつない困難も、ちゃんと描いている」ことにあるかもしれない。


主人公は3.11の日に実家気仙沼の亀島(劇中名)という島に帰れず、津波の激しさを目の当たりにしなかったことで、直接的な被災者としての経験を友人達と共有できなかった。という後悔を胸に物語が始まる。


当事者になれなかった事による、周りとのささやかな溝。こういう角度から震災の痛みを再度描くのが少し新鮮に感じた。


この感覚に似たものを、僕も少し感じたことがある。


3年前の胆振東部地震後の、道内全体を襲った停電。


幸い寒い季節ではなかったので、僕の道東の実家は数日間の不便くらいで済んだようだが、本来北海道にいるはずの自分が関東でその状況を遠くから眺めるしかないことに若干の歯がゆさを感じた。


被災者はもちろん辛い。けれど被災しなかった側にも何かしら心の痛みは残るのだ。ということを物語の端々で投げかけてくる。


主人公の友人の一人は、津波で母を亡くし、父は家業の船も無くし、アルコール依存症で飲んでは暴れて警察の世話になる、という痛みの発露を繰り返す。


こういうリアルな苦しみを持った苦悩、友人といえども踏み込めない心の澱みたいなのを朝から日本全体に突きつけるNHKの胆力に唸る。


痛み・悲しみ・苦悩、そうしたものから人間は逃げられないけれど、それと向き合うことが嫌で仕方なくても、向き合うことで少しずつ事態は展開していく。


そうしたものと取り組むのは考えると怖いことなのだけど、そんなに悪いものでもない、という視聴者に一縷の勇気も投げかけ、こちらの心をギリギリのところで掬い上げる仕掛けも為されている。


だから、たぶん普通に娯楽としてドラマを見る層には受けない。


ドラマの形をした哲学を投げかけられている気分になる。答えのない問いを、忘れちゃいませんかと登場人物それぞれが視聴者に語りかけてくるような気になるのだ。


だから、登米編の回想で主人公の祖父龍己が「山と海は繋がっている。まるっきり関係ないように見えるもんが何かの役に立ってるなんて事は世の中には結構あるんだよ」

みたいなことを言うと痺れてしまうし


サヤカさんが能の話の時に「陰と陽が整うと、雨が降るのよ」

とか言い出すとよくこの台詞を現代のドラマに押し込んだなと感動してしまう。


山と海とか、林業と漁業、天気と医療、地方と都会とか好きなテーマがてんこ盛りで、自分が好きな要素に満ちあふれているから単純に好きなのかも知れない。


そして地方と東京という対が恩着せがましくなく、テンプレ的でもないささやかさで、登場人物達の言葉で問いとして投げかけられると、自分も今の立場と重ねて色々考えてしまう。


主題歌がBUMP OF CHICKENというのも視聴を続けている要因の結構な部分を占めている。


中学生の自分にとっては神様みたいなミュージシャンだった。中二病をこじらせた心に「なんでこの人達は俺の気持ち分かるんだろう」なんて本気で思ってた位ド直球で刺さる曲を次々生み出してくれていた彼らが、一周回って変わらず優しく、もっとより多くの人の痛みの側にいてくれるような曲を作り続けていたことに素直に感動しているし、この曲が毎日朝から鳴り響く日本って良いなと素直に思っている。


劇中曲が高木正勝さんというのも凄い。
なんてったって、『こといづ』を書いた人なのだ。森や川や風と一体化しているかのような文章を書く人が描いた曲たちは、木々のざわめきや風の音、雨の音をそのまま音楽にしたみたいな響きがある。 
自分にとっての、音の二台巨頭が揃っているという豪華さ。


純粋にドラマとして観たら評論家的にはどう、とかそういうのは分からない。

ただこのドラマが自分に刺さった要因の一つに、問題提起というこのドラマのスタンスがあったことは確かだし、考えるのが好きな人は各所に散りばめられた仕掛けに見事にはまっていくのだろう。


と、知ったような口で評論ぽく締めてみるが全然合ってるとは思っていないので色んな意見を教えて欲しい。


Youtubeなどで配信されるドラマの、コメントの解釈を見つつ視聴する楽しさは現代ならではなかろうか。見どころが増えるだけでなく観察力の乏しい自分に色んな視点を提供してくれて嬉しい。


人がどのように観ているのかを知る、これって世界平和の第一歩なのではないだろうか。

松浦信孝の読書帳

本を読んで考えたことを中心に好き勝手書いてます。

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