次々みえる変化の兆し

新型コロナウイルスの災害が世界に広がってから一年とちょっとが過ぎた。

その間、自分を取り巻く環境も大いに変化し、自分の生活にも変化が次々現れてきている。

困難に見舞われる人もいる中でなんとか生きられているという僥倖に感謝している。

そんな世界の変遷の中で、現象の反面で各々に課せられた裏テーマみたいなものがあるとも思っている。
「風の時代」というキーワードもそうだし、自分にとっても、なんとなくこれかな、というテーマがある。

その一つの軸が、「生活を心地よくする」ということだと思っている。

贅沢をするということではない。毎日三食肉食生活をしていたのに、発酵食やヴィーガンなどの素晴らしい料理家さん達に出会ってから、どんどん肉食が遠のいている。量も食べられなくなった。
一方で、魚の美味しさにはようやく気付いた。
倫理的に、とか環境負荷を考えて、とかではなく、体の声に従って食べることを覚え始めた。

自粛が進むことで、酒を飲みに行く機会もなくなり、そもそも飲む必要性も無くなった。
職場の付き合いのために無理して飲む、はどんどん必要なくなってくるだろう。
こちらも、体の求めるタイミングに応じて、求める量で楽しめば良い。

日本人として昔ながらの身体感覚に回帰している感がある。



お茶室やヨガの教室をはじめ、家主の神経が通った、素敵な空間にお邪魔する機会も増えた。

空間は間違いなく、居住者に力を与える。

環境の大事さを痛切に思い知った一年でもあった。

食が整い、住を見直すと、積み残していた問題にも向き合う余力が生まれてきた。

両親には多大なる迷惑をかけたが、尊敬と感謝の念が湧き出て、意欲が湧いてきた。

仕事もどんどん上手くなるよう工夫する方向に思考が進み出した。

遅すぎるのではあるが、自分が何事かを形にし始めるまで大体3年かかる、という諦めもある。

免許を取って3年経った。そろそろ頃合いのはずである。

改善と修正と努力で、道のり自体を楽しむ準備を、いままでしていたのかもしれない。


今年は自分を整える、外面的にも内面的にも。


Twitterを開く機会が減った。この前まで、政治に対するマイナスなニュースを見るたびイライラしていたのが嘘のようだ。

スマホを開く時間も意図的に減らしている。
SNSも言い換えれば、電子の媒体を通して人が人を縛るシステムであり、それは自分が中学生の時にハマって破滅の一歩手前まで行ったオンラインゲームと構造的には変わらない。

瑣末な時間もかき集めれば自己探究に充てられる。

悠々自適の老後のために努力する、とかは自分にはピンとこないしあまり興味を惹かれないけれど、自分が仕事や活動を通して生み出した笑顔に囲まれる老後なら、見てみたい気もする。

今日読み終えた本で、牢屋の中からエールをもらった。

昔ながらの自分と新しく生まれ変わった自分を、上手く統合して、生命を凝縮していきたい。

松浦信孝の読書帳

本を読んで考えたことを中心に好き勝手書いてます。

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