東京裁判でA級、BC級 戦犯とされ、巣鴨拘置所に収監された彼らに連合軍が用意したのは教誨師という、宗教者であった。
戦後に出来た法で戦時中の罪を裁くなどというおよそ文明国とは思えない仕打ちをしておきながら、死刑囚には恐れず死を受け入れるよう宗教者をあてがう。このちぐはぐに感じるバランス感覚こそ、人種の違いというものなのだろうか。
詳しい言明は避ける。戦争についてはもっと勉強した後で、いつか論じられるようになりたい。
自分がA級戦犯という言葉を知ったのは、テレビを見てだったと記憶している。
何かの番組で、東条英機の孫が出演していた。
その人の「それでも私は、父がしたことは間違っていなかったと信じています」という様な主旨の発言を受けて、母が「やっぱり肉親のしたことは悪くないと思うもんなんだね」と言ったことがなぜか心に引っかかっていた。
A級戦犯とは、なんだったのか。戦争の罪は数人が代表して処刑されるくらいで償われるものなのか。
そもそも悪いのは日本だけか・・・?
この辺がもやもやしていた。学校の授業でとても嫌な気持ちになった戦争教育。なぜか卒業式の国歌斉唱で起立しない教員達。自主性、という名目で全員では歌わない、むしろ歌う人の法が少ない国歌斉唱。何かが歪んでいると、子供心に感じていたあのとき。
嫌だから、見つめない。ではなく、嫌だから、正しく知ることこそが必要だったんだと、この本を読んで知った。
花山信勝師が巣鴨プリズンで法話を開始したのは昭和21年2月28日。生まれる遙か前ではあるが、奇しくも自分の誕生日である。
BC級戦犯の中には、地元北見市出身の者もいた。不謹慎な話ではあるが、田舎の出でそこまで影響力を及ぼす存在になったことには少し敬意も抱く。
この親近感の後ろにあるのは、花山信勝師の法話、対話、仏教書の差し入れなどを通じて、彼ら戦犯達が精神的に見事な領域に到達していくからである。
終戦の段階では、彼らは確かに多くの人を苦しめた罪人の筆頭だったかも知れない。しかし、その人間の中身が、死ぬ寸前まで戦犯然としていたかというと、決してそうでは無かったことは、戦犯について考え、語るときには合わせて知っておかなければならない。
多くの人が粛々と死を受け入れ、最後には家族を思いやり、宗教こそが大事だと言い残してすがすがしく去って行く。我が命が、平和の礎となればこそ、と。
導く宗教の力と、個々で軍隊でも指導者層になるくらいのエネルギーの持ち主であるから、善行にも悪行にも、振れ幅が大きいのであろう。啐啄同時とは、この事であろうか。
戦争で死に時を逃し、生き延びて収監されたことで、自分と、生命と向き合う時間が生まれ、そこに宗教的な導きが組み合わさり、至高の領域まで精神性が到達した。
この姿を見ると、東条英機も、学校の授業で習うほど、そんなに悪い人では無かったのではないかと思う。人間をそんなにシンプルに善か悪か分けてしまえるように教えるのは、教育の咎である。
自分は基本的に亡くなった人の悪口を言うのは好まない。生者なら弁明も、反論も出来ようが死んでしまったら何も言えない。それはフェアじゃないと考えている。
だから、どんな悪人でも死んだらノーサイドだ。
というひいき目を抜きにしたとしても、死ぬ前の彼らの言葉、時世、どれをとっても素晴らしいと感じる。
言葉は通じずとも、側で見ている米兵にも尊さは伝わっているのだろう。A級戦犯の面々が最後13階段を上る前、米兵と握手するシーンがある。
著者はここに、平和の発見をみた。
戦後75年、政治家にこそ、宗教を。恒久の平和の礎たらんと願って浄土に渡っていった彼らの気持ちとは裏腹に、宗教観の醸成どころか逆行するような事象が絶えない。申し訳ないと思う。
一市民のレベルで、健全な宗教観が当たり前になれば、政治家になる層にもいずれ浸透するであろう。戦争の記憶と共に、一旦忘れ去られた平和の発見は、読むとしたら今なのである。
下は最近出た本である。講演録なので読みやすいが、『平和の発見』の方が時系列に沿って分かりやすいと思う。
『平和の発見』:読書のすすめが復刊運動を行った最初の一冊。
『A級戦犯者の遺言』
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